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京成沿線住民ですが、3290番台の台車、KS-121Aは乗り心地が素晴らしかったのを覚えています。でもちょっとふわふわ過ぎたかも。あの頃の京成3000~3300形の台車は、コイルバネ系台車は高速時のビビり振動がひどかったり、空気バネでもS型ミンデン台車は何だか間が抜けて今一つでしたが、住友のFS329はコイルバネ版、空気バネ版ともに、しまりが利いたソフトな乗り心地が秀逸でした。
3294編成のVVVF試験車は中盤からの加速がヤバかったです。磁励音も初期東洋のGTOの独特な奴でよかったです。
間合い運用で上野⇔高砂の普通に当たったことがありました。当時は高砂までが6両での普通運用ができたことと高砂車庫入庫で回送にするなら客扱いしましょだったんでしょうね。さすがにAEでは無理ですが😣ただ千住大橋での回送退避は嫌ですね💦
先代の1600形が車体更新されるも数年で荷物・行商列車限定となって中間車だけ残り、そして編成から抜き取られて廃車になるのに比べると3290番台は地味ながらも時折目立つ存在で長く使われた事が対象的ですね……
子供の頃、今は無き「谷津遊園」に保存されていたのを覚えてます。
3298〜9295+3292〜3291の変則編成は車掌時代に一度、泊り行路で上り特急の最終で乗務した事があります。加速および減速時のゴツゴツが酷かったですが、眠気は吹っ飛びましたねw
京急の「2000形」も、同じように“3扉”に改造されました。
こちらにもお邪魔します。3200形片開き車は セミクロス時代は見たことがありませんが 前の職場の大先輩から『座席指定車』のサボが入った外観や車内の写真を見せて貰った事があります。ロングシート・冷房化されてから 何度もお世話になりましたが 両開き車よりも側窓やドア窓が大きいので 内装を張り替えていた事もあり 昼間は車内の明るい電車でした。まぁそのドアは 京急みたいに 物凄いスピードで開閉しましたが。京成初のVVVFインバータ車『3294F』は 先頭車側面の車番表記も ステンレス切り抜き文字でちゃんと『クハ』と表示されていたので 見分けが付きましたが 改造車なところが 京成らしいと思いましたよ。登録させていただきました🙇
有料特急から一般型への改造:初代AE→3400VVVF改造:3600ターボ(余った先頭車を集めた)、3290V改試作車末期同様に金町線で運転。3600ターボの場合は文庫からの新車搬入牽引車としても使われる。AE100形:3700形が同様の機器。初代AE→3400形:本線特急や快速特急などの無料特急で活躍。3700形:無料特急及び北総経由のアクセス特急で活躍。
男はつらいよ、で見たことあるような?さくらさんとのお別れのシーンは京成が定番だな
3290番台は登場当時、“2扉”で伊豆急行100系とほぼ同じセミクロスシートでしたね。
当時の開運号に乗ったことがあります。通勤用車の窓配置に無理矢理セミクロスシートを突っ込んだので、ちょっとショボく感じたものです。開運号のヘッドマークが電照式のため、貫通路の運転台側側面にコンセントがありました。
3300形に、一部“セミクロスシート”に改造されたものもありましたね。東急9000系と対抗しました。
4:16 首振り扇風機が、「東急8500系」とほぼ同じ“東芝製”でしたね。
現在、京急にL/C転換シート車が導入されてる、かつての京成3290番台を豊富させる
てことはスカイアクセスの3100系ほぼ2代目なのか
同じ顔の3300形が一切出ないのが意外運用上全く関わりが無かったのかな…?
3290系は先代の1600系と比べるといかにも格下の感じがあった。最初から2回格下げ改造された小田急の2300系の位置付けだったみたい。
4:28 ん?LED?
この時代に、最先端設備
せめて特急で活躍してた頃のカットを入れてもらいたい。フリー写真も探せばあるでしょ。同じカットをエンドレスで流し続けてるだけで残念。
色々さがしてみたんですけど、やはり昔ということもあり写真が少なく、探した限り「開運号」のフリー写真もリバイバル運転時の写真のみでした。その結果このようなエンドレスで流し続けるということになってしまいました。なので今後このようなことがあった際は「使える写真がなかったんだな~」と思って見てください。
コメント1号
京成沿線住民ですが、3290番台の台車、KS-121Aは乗り心地が素晴らしかったのを覚えています。でもちょっとふわふわ過ぎたかも。
あの頃の京成3000~3300形の台車は、コイルバネ系台車は高速時のビビり振動がひどかったり、空気バネでもS型ミンデン台車は何だか間が抜けて今一つでしたが、住友のFS329はコイルバネ版、空気バネ版ともに、しまりが利いたソフトな乗り心地が秀逸でした。
3294編成のVVVF試験車は中盤からの加速がヤバかったです。磁励音も初期東洋のGTOの独特な奴でよかったです。
間合い運用で上野⇔高砂の普通に当たったことがありました。当時は高砂までが6両での普通運用ができたことと高砂車庫入庫で回送にするなら客扱いしましょだったんでしょうね。さすがにAEでは無理ですが😣ただ千住大橋での回送退避は嫌ですね💦
先代の1600形が車体更新されるも数年で荷物・行商列車限定となって中間車だけ残り、そして編成から抜き取られて廃車になるのに比べると
3290番台は地味ながらも時折目立つ存在で長く使われた事が対象的ですね……
子供の頃、今は無き「谷津遊園」に保存されていたのを覚えてます。
3298〜9295+3292〜3291の変則編成は車掌時代に一度、泊り行路で上り特急の最終で乗務した事があります。
加速および減速時のゴツゴツが酷かったですが、眠気は吹っ飛びましたねw
京急の「2000形」も、同じように“3扉”に改造されました。
こちらにもお邪魔します。
3200形片開き車は セミクロス時代は見たことがありませんが 前の職場の大先輩から『座席指定車』のサボが入った外観や車内の写真を見せて貰った事があります。
ロングシート・冷房化されてから 何度もお世話になりましたが 両開き車よりも側窓やドア窓が大きいので 内装を張り替えていた事もあり 昼間は車内の明るい電車でした。
まぁそのドアは 京急みたいに 物凄いスピードで開閉しましたが。
京成初のVVVFインバータ車『3294F』は 先頭車側面の車番表記も ステンレス切り抜き文字でちゃんと『クハ』と表示されていたので 見分けが付きましたが 改造車なところが 京成らしいと思いましたよ。
登録させていただきました🙇
有料特急から一般型への改造:初代AE→3400
VVVF改造:3600ターボ(余った先頭車を集めた)、3290V改試作車末期同様に金町線で運転。3600ターボの場合は文庫からの新車搬入牽引車としても使われる。
AE100形:3700形が同様の機器。
初代AE→3400形:本線特急や快速特急などの無料特急で活躍。
3700形:無料特急及び北総経由のアクセス特急で活躍。
男はつらいよ、で見たことあるような?
さくらさんとのお別れのシーンは京成が定番だな
3290番台は登場当時、“2扉”で伊豆急行100系とほぼ同じセミクロスシートでしたね。
当時の開運号に乗ったことがあります。通勤用車の窓配置に無理矢理セミクロスシートを突っ込んだので、ちょっとショボく感じたものです。
開運号のヘッドマークが電照式のため、貫通路の運転台側側面にコンセントがありました。
3300形に、一部“セミクロスシート”に改造されたものもありましたね。
東急9000系と対抗しました。
4:16 首振り扇風機が、「東急8500系」とほぼ同じ“東芝製”でしたね。
現在、京急にL/C転換シート車が導入されてる、かつての京成3290番台を豊富させる
てことはスカイアクセスの3100系
ほぼ2代目なのか
同じ顔の3300形が一切出ないのが意外
運用上全く関わりが無かったのかな…?
3290系は先代の1600系と比べるといかにも格下の感じがあった。最初から2回格下げ改造された小田急の2300系の位置付けだったみたい。
4:28 ん?LED?
この時代に、最先端設備
せめて特急で活躍してた頃のカットを入れてもらいたい。フリー写真も探せばあるでしょ。同じカットをエンドレスで流し続けてるだけで残念。
色々さがしてみたんですけど、やはり昔ということもあり写真が少なく、探した限り「開運号」のフリー写真もリバイバル運転時の写真のみでした。その結果このようなエンドレスで流し続けるということになってしまいました。なので今後このようなことがあった際は「使える写真がなかったんだな~」と思って見てください。
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